番組用データベース
こんたどーる・あるべると
CONTADOR Alberto
Alberto CONTADOR (アルベルト・コンタドール)
国籍:スペイン
生年月日:1982年12月6日
身長:176cm
体重:69kg
眉毛が濃くきりりとした顔立ちのコンタドールは、マドリード生まれのマドリレーニョ(マドリッ子)。
2002年、U23タイムトライアルのスペインチャンピオンとなり、翌2003年に20歳でオンセにプロ入りした。その年、プロ一年目で早くもポーランド一周の第8ステージで、得意とする個人タイムトライアルで優勝した。
しかし2004年、アストゥリアス1周のレース中に落車。以前から異変を感じていた彼は精密検査受け、その結果脳幹部海綿状血管腫と診断された。手術が行われたが、この病気は回復が難しく、選手生命はもとより普通の生活も困難になる可能性があるほどの難病だった。
兄が自転車をしていたのがきっかけで始め、やっと入ったプロの世界。プロとして戻りたいと言う夢をあきらめず、ガンを克服したアームストロングの本に勇気づけられながら、厳しいリハビリの末、6ヶ月の闘病生活の経て見事に復帰を果たす。
2005年再び走り始めた彼は、1月にオーストラリアで行われたツアー・ダウンアンダーの第5ステージで優勝を収め、才能を見せつけた。その後も、カタルーニャ週間やバスク1周、ツール・ド・ロマンディで優勝し、昨年だけで5勝もマークした。
ツール・ド・フランスで彼にインタビューした時、彼に痛々しい右手を見せてもらった。2005年6月11日、ドーフィネ・リベレの第6ステージで、走りながらコンピューターセンサーを自転車に取り付けようとして、運悪くホイールに指を挟み右手薬指の第3指骨を複雑骨折した。15針縫い、親指も5針縫った。偶然にも、その日は前年手術した日だった。
このケガで一時はツール出場も危ぶまれたが、念願のツールに出場できた。「このツールは、チームのために仕事をすること。とにかく、僕は経験を積むことが大切なんだ」と、謙虚な態度で話してくれた。年の割には、かなり大人びた印象だった。彼の初めてのツールは、アシストに徹しつつ31位の成績で終えた。
2006年は、ツール・ド・ロマンディとツール・ド・スイスでステージ優勝している。
2007年からはディスカバリーチャンネルに移籍し、Fumyと共に戦う。
ニックネームはコンタドールかコンタ
好きな女性のタイプは黒髪
コレクションは小鳥
自転車選手じゃなかったら、獣医になりたかった
『サイクリングカフェ・レヴェイユマタン』2007年03月22日のゲスト
投稿者:Chiho 投稿日:2007年1月22日(月) 閲覧回数:2249